過去の戦績

歴代師範

内藤高治 明治30年(1897)~32年(1899)
「熾烈なる気魄と豪邁なる剣技を以て厳格な指導鍛錬を与え、学生は深く心服しこれに倣い、都下学生剣道界に先駆する剛強な剣風の土台を固めた」(笹森順造先輩「稲剣誌」創刊号より)
梅川巳之四郎 明治32年(1899)~42年(1909)
「神道無念流日本一の雄名轟く梅川師範は身軀偉大、膂力万人に勝れた剣豪である。(中略)梅川師範は又陸軍戸山学校剣道教官として指導練成に当った」(笹森順造先輩「稲剣誌」創刊号より)
高野佐三郎 明治42年(1909)~
「早大剣道部を日本一たらしむるため、日本一の名師範高野佐三郎先生を迎え、その高邁な人格、精妙な武芸に親灸し、愛情溢るる誘掖鍛錬を受け早大剣道部は日本学生剣道界に君臨するに至ったのである」(笹森順造先輩「稲剣誌」創刊号より)
高野茂義 高野佐三郎先生のご養子。
「学生の指導は実に丁寧で、学生が渾身の力をふるって先生にぶつかっていくと、先生はそれをはね返さず、すべて母が懐に入れるように、柔らかく受け入れて下さいました。(中略)どこまでも引き立ててやるという、いわゆる引立稽古をよくなされました」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
斎村五郎 大正14年(1925)~
「いわゆる芯が立っていて、こちらから打ち込んでいっても、それを少しも受けつけないというような強さです。誰でも知っているとおり、日本一といわれる斎村先生の剣は、鋭い剣であり、正しい剣であり、真っすぐな剣でした」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
市毛正平 昭和5年(1930)~
「先生は若いうちから大層技の優れた方で、技が速く、また強い技で、学生の指導には適した立派な方でした」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
柴田万策 昭和8年(1933)~
「特に、戦前・戦中・戦後を通じて剣道というものを守るために、いろいろな歴史的変遷の中で、柴田先生は力を尽くされた」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
鶴海岩夫 警視庁師範を歴任。
「若い頃から高野佐三郎先生の道場で学ばれた天才的な方で、身体もよく、姿勢もよく、技も立派であり、ある時代においては試合では日本一と折紙をつけられた大先生です」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
大野操一郎 範士9段。東京高等師範学校卒。
「体格の立派な方で、背が高く、また体格が頑丈であるというばかりでなく、均整のとれた体格をしておいでなさる。姿勢も立派で、したがって大野先生の指導によって得るところの学生の利益というものは大きい」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
阿部三郎 昭和33年(1958)
「阿部三郎先生は、ご承知のとおりこれまた体格の立派な、どちらかというと肥大型の先生ですが、非常に力が強く、また小技でなく大きな技を胆でやるという特徴を持っておられることは衆知のことです」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
高野弘正 昭和34年(1959)
「身体がよくて、力があり、これまた非常に俊敏な稽古でした。竹刀の振り方、身体の動かし方、技のかけ方は天才的でした」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
渡辺敏雄 昭和41年(1966)~昭和63年(1988)
「学生の指導面において、誠に至れり尽せりで、技が強く、研究心が強く、指導力があるというばかりでなく、学生を本当に心からかわいがって指導してくれるという面において天才的な方です」(笹森順造先輩「稲剣誌」第3号より)
安藤宏三 平成元年(1989)~平成14年(2002)
教士八段、早稲田大学卒業
橋本明雄 平成3年(1991)~平成14年(2002)
範士八段、東京高等師範学校卒業
矢野尊之 平成15年(2003)~平成20年(2008)
教士八段、早稲田大学卒業
栗原正治 平成21年(2009)~
教士八段、早稲田大学卒業